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あっちこっちシアターインフォ(八戸情報誌 amuse 2014年11月号)

文:YAM(トルヴォホッカ―)

東北・・・もう1つの偽史の想像 / みえるもの みえないもの

誌面表示 ■神楽、偽史、イタコ、龗(おがみ)神社、これだけのキーワードで胸が高鳴った。なぜだか最近僕のまわりには東北の原形質探索人が急増している。そういう新しい時代なのだろう。東北の新しい時代。
■朝起きるとしとしとと雨が降っていた。それもその筈、会場となった龗(おがみ)神社は水の神である龍神さまが祀られている。第一部で宮司の坂本守正さんが「龗(おがみ)神社が関わる祭事には雨がつきものなんです」と話されたとおり、夏の三社大祭もどこかで一日は雨が降る。言い換えれば、龍神さまの祝福なのだろう。雨で湿り気を受けた龗(おがみ)神社の境内は、何か不思議な気で満ちていた。まさしく「銀の滴降る降る杜に」だ。
■さて、このイヴェントを企画した戸田昌征とは何者だろうか。今年の四月からデーリー東北で始まった、八戸出身のすばる文学賞受賞作家であり、このイヴェントでも「最後のイタコ」松田広子さんとの現世対談を実現させた木村友祐の連載エッセイ「ある惑い虫の記」。僕はその挿画を担当させてもらっている。この月は「戸田昌征という男」だった。北高演劇部出身で、卒業後この演劇部を高等学校文化連盟演劇部門最優秀賞に導いた作品「演劇とは何か」を書いた人物、現在は東京でバスキングジャパンを主宰している。この回の挿画は写真一枚を頼りに、この未知の男戸田昌征のカリカチュアを描いた。当日会った戸田昌征は、自分で言うのもなんだが似ていた。
■話は飛んで、この原稿を書く前に一週間ほど、大阪、長崎、京都を巡る旅に出た。大阪では民博で開催されていた企画展「イメージの力」展を見、長崎では隠れキリシタンの島・五島の教会を、そして京都では、義経の系譜を継ぐ源頼家が建立した建仁寺、空海によって表現された立体曼陀羅が在する東寺などを巡った。ここで観たものは権力によって迫害された祈りと、擁護された祈り、そしてイメージの具現化だった。
■僕らは今、「トルホヴォッコ」というイメージの中の東北の具現化を画策している。
■元来東北はまつろわぬ民の地であり、日の本であった。中央からの力により、蝦夷、僻地といった観念を植え付けられ、湾曲した教育制度によって暗さと重苦しさを植え付けられてしまった。本当の意味での東北の鎮魂とは何か。それは原初的地力と民力の復活、そしてファンタジーとしてのもう一つの偽史の想像ではないだろうか。戸田昌征も言っている。『「偽史」とはきっと、死者に寄り添い、我が事のように思い、語るほどに入れ込んでいくという東北の人々の心根、その反映ではないでしょうか。それはまた、東北に根付く豊穣な芸能の淵源なのだと思うのです』と。
■「銀の滴降る降る杜に」は東北の今という劇的な場!さて、東北よ箍をはずそう!


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