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あっちこっちシアターインフォ(八戸情報誌 amuse 2014年6月号)

文:長谷川直行/どらまぐる~ぷ川公演製作総指揮

ただいま準備中! 小寺隆韶追悼・どらまぐる~ぷ川公演

誌面表示  私達「どらまぐる~ぷ川」は9月に<小寺隆韶追悼・第17回公演>を予定している。
 「ん? なんだそりゃ」と思われたかもしれない。50歳前の人には耳になじみのない劇団だろうし、小寺隆韶という劇作家を知らない方も多いことだろう。
 小寺隆韶は高校演劇の古典とも言うべき「かげの砦」や「てのひらの雪ひとつぶの消えるまで」などの作者で、八戸北高校を三度の全国大会最優秀賞に導いた人だ。その活動は演劇だけにとどまらず、八戸の<創る力>を引き出し、支えた存在だった。しかし無念にも昨年秋、逝ってしまった。
 「どらまぐる~ぷ川」は小寺の教え子達で昭和43年に結成された。47年前だ。現存する八戸の劇団で最も長い(古い?)経歴を持っている。とは言え、平成6年の「俗物礼賛」以来20年間も活動休止状態だったので、忘れられようが初耳と言われようが仕方ないことではある。
 ただ、「川」は結成直後から観客収容150ぐらいの仮設小劇場で4・5日間の連続公演をやり続けたしそれは今や八戸の演劇公演形態の定番になっている。中でも昭和43年から翌年にかけての一年間に、4本のオリジナル作品の上演をやりとげたことは(一部で)レジェンド扱いをされている。若かったからできたのだろうが、仕事を持ち日常生活を送るアマチュア劇団がこんなことをやったなんて、手前味噌ではあるがスゴイと思う。
 さて、結成時の団員は全て年金受給者であり介護保険料納入者になってしまった。そんな老頭児がドッコイショと立ち上がったのは、恩師であり座付作家だった小寺大兄の霊に思慕と哀悼の意を掲げたかっただからだが、実はもうひとつの理由があった。
 ここ数年「演劇のまち八戸」の復活が叫ばれている。私は八戸を演劇のまちなんて思ったことはないのだが、たしかに近頃のこのまちの演劇は元気がないなァと感じてはいた。でも、そんなヨレヨレ状況を産み出したのは、ほかならぬ私達だったのでは?と気付いたのだ。小寺先生をはじめとする諸先輩から学んだことはたくさんあった。それに新しい何かを加えて後から来る人達に伝える役割が私達にはあったはずだ。それをおろそかにした私達にも責任があるのだ。だから、遅まきながらももう一度演劇の創作現場に身をおいてもがいてみたいと思ったのだ。
 角昌俊・久保優子・成田守等創立メンバーは元気だ。十日市秀悦・中島美華といった人気者も出演する。川柳作家でもある滝沢真智子、「FANS」の田中勉。「はっち」の活動から生まれた中田絢子達新鮮な力も得られた。更なる参加者も大歓迎だ。
 ところで、上演作品は小寺隆韶作『亀』(昭和54年初演)だ。公演の詳細は次号以下のこの誌面で紹介させていただきたい。


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